2022年1月2日日曜日

第362夜 競馬予想がスランプになったらチャンス

 


▼競馬予想がスランプになったら
誰にでもスランプがある、ということばに、わたしは同意できない。
そういう話をすると、「いや、一流のプロや選手だってスランプに陥ることはあるじゃないか」と反論されてしまうのだが、それについてはわたしも否定しない。
スランプとは、真摯な、真剣な努力をしている人が成績の低下状態に陥ることである。
そもそも努力をしていない人にスランプはない、ということを言いたいのである。
だらだら(真摯に努力しているのに比べて)競馬予想をしていて、不的中が何度か続いたとしたら、精度の低い予想の結果がたまたまハズレに偏った程度の話で、スランプでも何でもない。
したがって、スランプに陥る人は努力の下地がある人でもある。

わたしはスランプを脳の「処理渋滞」に伴う低下と思っているので、脱出方法は気分転換、モチベーションの再向上が脱出方法だと考えている。
要するに、脳をリフレッシュすること、パソコンやスマートフォンなら「再立ち上げ」することである。
少なくとも、真摯な努力をしていない人にはスランプはないのだから、自信をもっていい。

スランプの中で、思考が煮詰まった場合もある。
そういう場合は、それまでの思考を全部横に置いておいてまったく違う視点で一から考え直すというのも悪くない。
わたしの場合、スピード指数系から予想方法を転換したのはやはりスランプに陥ったからだった。
積み上げた独自のスピード指数をやめるというのは勇気が必要だった。
それまでは黒字と言わなくとも自身が満足できる程度の成績を上げていたし、何より自分で見つけてきた知識やノウハウがある。
これを使わないと決めるのは並大抵なことではないのだ。
「別の理論を構築する過程で、もとの理論が正しいとか、何か補足することとかを見つけられるかもしれない。そのときには元の理論に戻ればいい」と自らに言い聞かせて、予想理論探しの旅に出たのである。
結果的に、わたしは新天地(新しい予想方法)を見つけて、そこで生きていくことになった。

▼新天地への道案内
新しい予想方法を考えるとき、貴方の前に道はふたつあるように思う。
(いにしえ)の秘術を探す旅路と、新しい旅路である。
競馬予想に限れば、前者はあまりお勧めしない。
伝統的な考え方には部分的に取り上げるべき知識やノウハウもあるが、「予想法」といった場合には失敗の山であり、その多くの原因も事実誤認、統計不足による誤認に集約されるからである。
新しい旅路のほうが可能性はある。
代表的なものに統計的方法(統計学的分析やAIディープラーニングなどによる機械予想)がある。
コンピュータのない時代には、ビッグデータを扱ったり大量の計算をしたりすることができなかったので、未だ開拓の余地があると思われる。
だが、そうしたものではなくて、まったく違う考え方を探すというのが本当の目指すべき道だろうとわたしは思う。
まさに新天地である。
脱税などによって世間に知られたいくつかの方法は、馬ではなくて馬券の買い方の盲点を突くものだった。
絶対に来ない馬を探すという視点もあった。

わたしは詳しくないが、将棋のAIソフトの開発は見つけるたびによく読むようにしている。
将棋の指し手は非常に多くの組み合わせである。
一手一手を考えがちだが、将棋ソフトは必ずしもそうではないらしい。
将棋の駒にウエイトを付ける、飛車や角行、香車などの可動範囲を見て有利不利を判定する、といった人間とちょっと違った評価をもとにしているようなのである。
対戦の途中でどちらが優勢かわかるようになったのはそのためである。
競馬でも何かそうした発想の大転換がないかとわたしも日々探している。
西田式スピード指数は日本の競馬予想史上、最大の革命理論であったとわたしは今でも思っている。
その後にも、広く公開されていないが新しい知見はいくつかあることも知っている。
わたしの旅は、将棋だけでなく、戦史でも、スポーツでも、金融市場でも、気象でも、月星の運行予測でも、勝負事や予測の方法論などを幅広く訪ねるものである。
スランプだなと感じたときには、こうした書物を読み漁って、わたしも新たな知見を探し出そうとする。
これまでの結果からみて、わたしにとっては「スランプはチャンス」であった。
発見はなくても武器はたくさん手に入れた。
(SiriusA+B)

ブログ アーカイブ