▼直感
ここぞという場面で強い勝負勘というものがある。
直感若しくは直観とも置き換えて良いかと思うが、馬券投票者にはそういう勘が鋭い人はいる。
運だと言う主張もあるけれど、何度も「勝負勘があるなあ」と言われる人の場合は偶然で片付けられるものではなく、「経験に裏打ちされた瞬間的な判断」であり、一種のスーパーコンピュータなのである。
今流行りのAIのほうがイメージは近いかもしれない。
多くの場合、正解を導き出すので勝負勘を鍛えたくなるのだが、これ、精神修行じゃないからね。
勝負勘は経験をたくさん積むことで鍛えられる。
漫然と量をこなすのではなく、1レースずつ丁寧に積み重ねていく。
そのうち細かい分析なしに「可能性の高い判断」をするようになる。
12×12の解を144と答えるときを思い出してほしい。
多くの人は、いちいち計算していないはずで、144という答えを覚えている。
勝負勘とは「分析・計算はしていないけれど、このような分析結果または計算結果になる、とわかる」ことなのである。
実は、これこそAIの決定木と同じ手法である。
世間でAIを凄いことのように言うのだが、いやもちろん凄いが、原理は正解に辿り着きやすい選択肢を選ぶ集積なのだ。
人間よりも早く正確で大量にこなしているだけでやっていることに大差はない。
もっとも、AI並みになりたければ、主観的というか、思い込みを排除した判断が下せるように、客観的な視点を持つことも要るだろうと思う。
AIは主観を排除できる点、見落としが無い点で人間より優れている。
だが、人間も同じようにできることには自信を持って良いと思っている。
▼確率
ところが、確率の問題になると、直感が間違いを起こすことに注意してほしい。
何故か分からないのだが、確率は直感と異なる正解になることが少なくないのだ。
生存本能を考えると、確率的な選択を直感に頼って判断するのが正しい気がするのに、そうではないらしい。
「朝のレースからずっと1番人気が飛んでいる。そろそろ堅い決着になる」といったような勘違いは最たる例だろう。
各レースは独立事象であり、前のレース結果と今から走るレース結果とは関連性がまったくない。
堅い決着になると思うのは自然なことで、確率と直感が合わないからギャンブルが成立するのである。
大数の法則も誤解されている気がする。
賭け続けると75%に近づくという話だ。
これは宝くじのように全員が同じ力量(クジは完全に平等)なら当てはまるが、競馬の予想では投票者の力量が異なる。
個別には投票者それぞれの力量にあった回収率に近づくことに間違いはないが、全員が75%ではなく、上手い人なら80%や100%超えもあり得るのだ。
仲間内で麻雀をする人なら、繰り返し卓を囲んでいれば、長期的には実力差どおりになっていき、全員が一律にプラスマイナスゼロにはならないことを理解しやすいだろう。
また、確率が直感と大きく異なる例として「同じ誕生日」の話があるけれど、わたしの拙い説明より、詳しくご存知の方のサイトでも見ると良いだろう。
確率と統計の違いも混同している人が少なくないようにも思う。
正確に言えば、単勝1番人気の勝率が約33%というのは統計であって確率ではない。
(SiriusA+B)