▼力の量と質
前夜から続く。では、達人になるための努力とは具体的にどういうものなのか。
量については、研究もある。
マルコム・グラッドウェル氏が著したように、1万時間を目安にできるだろう。複雑な仕事をこなすようになるには1万時間の努力・練習が必要なのだという。勤め人であれば、「そんな時間はない」と即答しそうだ。しかし、「虚仮(こけ)の一念岩をも通す」で、毎日1時間でも打ち込むことをすれば、10000日で1万時間に達する。
ただ、1万時間を漫然と練習すればよいというものではない。「自覚的訓練」といわれる努力の質が伴っての1万時間である。どうすれば上手くなれるのか、常に自身に問いかけながら練習すること、一言で言えば「打ち込む」ことが必要なのだ。
▼人は安きに流れる
1万時間の法則については異論もあるようだ。分野によってはそれほどの時間を要しない、という。また、成功の鍵は、努力のみならず、外的な要因も重要なファクターであるということも忘れてはならない。
こうした話はあながち間違いではないかもしれない。しかし、こうした見方をどう捉えるか、を考えたい。「必ずしも1万時間は必要ないのだな」と思っただろうか。それとも「だから1万時間を費やして天才になるのは少数なのか」と思うか。
人は安きに流れる。少なくとも言い訳を用意しないようにしよう。
わたしもどこにでもいる会社員である。仕事は懸命にやっているほうだと自負している。朝8時前には自宅を出て、夜10時あるいはもっと遅くに帰宅する毎日だ。土日もたまには仕事で出掛ける。家族との時間も持たなければならない。競馬を研究するには睡眠を削らなければ時間を確保することもできないのである。
わたしは自分の心の声にいつも反論を用意している。
・忙しいから時間を取れない→仕事や家事で忙しいし、へとへとになる。それでも睡眠を少しでも削ってでも時間を確保するかどうか
・文系なので数学の才能や知識がない→知識がなければ勉強してみる。社会に出てから数学を勉強している人もいる
・1万時間が不要かもしれない→先ずは1万時間費やしてみよう
・才能がない→先ずは努力してみよう
限界を超えて初めて、人は成長する。
苦行のようだが、嬉しい話もある。1万時間に達するまで成果が出ないわけではなく、成果は徐々に現れる。成果が現れ始めると、加速度的に打ち込めるようになるだろう。
大丈夫、馬券を買うほとんどの人はそこまで打ち込んでいない。自分の努力次第でごく少数の領域に入ることは可能である。
(SiriusA+B)