2015年6月25日木曜日

第3夜 試験の神様でも出たとこ勝負ではないということ


▼戦いには戦術が要る

日露戦争のハイライトである日本海海戦で、連合艦隊参謀を務めた秋山真之中佐(後に海軍中将)は「試験の神様」とも呼ばれていた。ヤマを張るのが上手かったそうである。教師をよく見ればわかるらしい。ヤマを張ることに対し、「試験は戦いと同様のものであり、戦いには戦術が要る」と言った。

司馬遼太郎の名著「坂の上の雲」を読むと、秋山参謀の考えに感心させられることが多い。秋山参謀は、後々まで神秘的な参謀として海軍から崇められていた人である。神秘性・天才性はなかなか真似できないものであるけれど、要点を掴むための準備作業は見習うべき点かと思う。

▼要点を掴む

秋山参謀は、膨大な量の資料や情報から要点を掴む力があった。「種々錯雑せる状況を綜合統一して供するの才能に至っても実に驚くべきものがあった」とは、上官(日本海海戦前まで連合艦隊参謀長)でもあった島村速雄元帥海軍大将の言である。秋山真之参謀ほどの能力が万人にあるかどうかは別として、注意を払う点がふたつある。

一つは情報の収集である。

秋山参謀は、海軍のみならず、陸上戦闘も含めて古今東西の戦史、戦術書を広く読み込んでいた。また、造船所にも足を運んでいる。情報収集に余念がなかったのである。競馬においても、競走を見るだけでなく、競馬と関係の薄いものを含め様々な書物を読むことも必要な作業に思う。わたしも、サラブレッドの祖先(遺伝子レベルから追跡したもの)を考察した文章や、裁決委員・ハンデキャッパーのインタビュー記事などが結果的に役だった。

ふたつ目は情報の整理、抽出である。

秋山参謀は、大量の見聞から基本原理を見いだしているのだろう。取捨選択の能力が秀でていたと思われる。「要点を掴む能力と不要不急のものを切り捨てる大胆さが問題だ」と彼は述べていた。

わたしが思うに、要点を掴むとは、基本原理を見いだすことであり、その背景として膨大な情報・資料が必要ということである。

▼競馬予想でも同じように

競馬予想でも同じように実践できないだろうか。まず、知識の習得だが、取捨選択までは上手にできなくとも、必要な知識の抽出なら案外できなくもない。

書籍でも、ブログほどではないけれど、よほどの名著でない限り、案外無駄は多い。競馬予想法を記した本には苦笑を禁じ得ないものもあるが、例え1行であっても自分にとって未知の事実や見習うべきところがあるものだ。無駄が多いから見ないではなく、石ころの中にダイヤが混じっていないか、目を通しておくことも悪くない。

競走もさまざまな視点で(テーマをもって)見たい。全部の競走を見ることも大切だろうが、同じ競走を特定の馬や騎手に注目してみるとか、流れを見るとか何度でも繰り返して見ることもあってよい。作戦はそのあとで立てる。

日露戦争の時代と違い、わたしたちにはコンピュータがある。多くの事例から「基本原則」のようなものを見つけたら、ほかの競走でも当てはめて統計的に正しさを実証することができる。膨大な競走データが手元にあるのだ。

ただ、一般に重要といわれる情報がすべて重要かどうかは疑問を持っている。このブログでは様々な常識を覆したいと思っているが、予想をする上で、「オッズ」はほんとうに重要な情報なのか、「タイム」は絶対に必要か、などについても、いずれ触れたいと思う。取捨選択は難しいのである。

「膨大な情報を収集する時間はない」という人は少なくないだろう。しかし、言い訳せずに時間を作る努力もしなければ到底勝つ見込みはない。本気で黒字収支を目指すなら、十分な知識武装もなく、前夜や当日に競馬新聞を買って睨みつけても遅いことは分かるはずだ。
 (SiriusA+B)

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