▼競馬は仕組まれている⁈
思考をする訓練というのは、幼少の頃からするのだけれど、大人になってから身に付かないということもない。
四六時中考えることは難しいのだが、思考を続ける人とそうでない人は、人生においても驚くほど差が出る。
若い人なら、打ち合わせやセミナーの資料のコピーを命じられたことがあるだろう。
コピーなら誰でもできそうだが、上司は評価の観点で考える。
紙を半分に折ったりステイプルをしたり、サイズの異なるコピーをまとめたりと、案外手間がかかる。
頼んだ人からみれば、注意深くキチンと取り組んだ人と適当にやった人では出来栄えが違うのだ。
知り合いに言わせれば「考えることを放棄している。その方がラクなんだろうね」となる。
こういうタイプによくあるのは、難しいことや複雑なことをブラックボックスとしてしまう思考だ。
例えば、競馬は仕組まれている、という。
誰かを勝たせるために、JRAがサインを送っていると。
あるいは裏情報で単勝や複勝の大量買いがあると。
本気かと多くの人は思うに違いないが、信じている人も案外いるようだ。
以前、このブログのどこかで話題にしたように、回収率ではサイン馬券と一生懸命考えた馬券にそれほど大きな収支差はないと考えられる。
残念だが、下手な考え休むに似たり、である。
サイン馬券を考える人は、差異の少ない馬券成績を根拠に自分の主張の正当性を唱える。
だが、予想プロセスの省略が収支プラスに結びつく可能性は低いだろう。
馬券が外れたのは競馬が仕組まれているからだと考え、同じことを繰り返して進歩しないからである。
大損もしない代わりに平均的収支から脱することもないであろう。
立ち塞がる競馬予想の深い森を避けても道はない。
一方で、深い森に入って彷徨う人は多い。
ポケットを探り回ってコンパスでも見つけるか、怪しげで頼りない地図でも入っていないか調べなければならない。
何もなければ、知恵を振り絞って、木の生え方を見、光の方向や高低差を見て、森を出なければならない。
競馬予想で言えば、スピード指数や血統理論、ニューラルネットワークなどが武器になるだろう。
ただ、誰もが森を突き抜ける精度のものでないことも事実である。
サムシングニュー、つまり何か新しいものを探す必要はありそうだ。
それは、従来の武器の「使い方」かもしれないし、まったく新しいアイデアかもしれない。
少なくとも、他人の真似事、模倣から抜け出してオリジナリティというか独自の工夫をしなければ勝つことはできない。
(SiriusA+B)