2019年4月15日月曜日

第237夜 予想が揺らぐ人は基準を持てば良いと思う



敗ければ熱くなり、見失う
前夜まで延々と騎手を分解して指数を出す試みを紹介した。
いつも通り舌足らずな点はご容赦願いたい。
結構精緻にやっていると言いたかっただけなので。
さて、今夜はまったく違う話である。
弱い心に基準を持て、という話だ。
不安は、覚悟(想定)と準備そして基準で緩和される。

わたしも、はじめのうちは同じ経験をしているけれど、不的中が続くと自信喪失になり、どの馬も勝ちそうに見え、財布の中が気になりだし、本命馬券を薄く買い、押さえ馬券を大量に買い求める。
予想精度の高い低いは否定しないが、多くの人は自滅に向かう。
敗戦に次ぐ敗戦に耐えられなくなるのである。
だが、敗けが込んでも平然としている人は少なからず存在する。
彼らは何故焦らないのか、気になったことはないだろうか。
競馬の話ではなかったが、最近、「どうやって心の平衡を保てるのでしょうか」という質問があり、わたしなりの回答を示したことがある。
わたしなりの回答というのは、要するに自信である。

競馬の予想に置き換えれば、自分の予想や予想法に自信を持つことであると思うだろう。
充分に裏付けのある予想である。
だが、そういう人は少ないだろうと思う。
「自信がないから尋ねているのだ」という声が聞こえてきそうだ。
実は、わたしのいう自信とは、実は自分の予想精度ではなく、予想的中率から連敗数について覚悟というか想定していることである。
5
乃至6連敗くらいは想定の範囲内であると考える。
資金もその前提で配分しておく。
全滅も覚悟する。
そういうことである。
しかし、何故、と思うくらいに、行き当たりばったりの人は多い。
「自信のあるレース」に外れたら回復不可能なほどの資金を投入してしまうのか。
いつも破綻しているのに()
オケラになって帰ったことのない人など滅多にいまい。
「これくらいの連敗はあり得るのだ」
とうそぶくくらいがちょうどいいのだ。

準備
馬番発表から徹夜して予想してきた、と朝一番で競馬場に向かう道すがら耳にすることはないだろうか。
聞こえてきたことばに、自分より勉強してきた人がいると動揺するのはもってのほかだが、ろくろく眠らずに頑張ったその人が「入念な準備をしてきた」と思うのもいかがなものかとは思う。
それは一夜漬けであり、本来は、発表された馬番・馬名を予想法に当てはめて準備終了というのが正しいとわたしは考えるのである。

展開を予想したり相手関係をみたりしないで予想できるか、と反論もあろうが、過去のレースで似たような顔ぶれのパターンを準備しておけば時間はかからない。
そんなことできるか、毎回出走馬は違うのだ、とさらに反論する人もいるだろう。
しかし、これは研究不足である。
逃げ馬が1頭のケース、騎手、馬番が内側、過去の逃げパターン成功例などの要素別に傾向を掴んでいないのではないかと思う。

入念な準備とは、個々の出走馬ではなく、過去のレース数年分を復習し体系化しておき、今回のレースに知見を注ぎ込むことがいう。
それは前日までに終わっているはずなのである。
それが準備で、一夜漬けのことではない。

基準
もうひとつ、予想精度そのものに自信喪失した場合の対処法も述べておきたい。
連敗すれば誰しもが動揺する。
動揺を沈めるために、わたしは大丈夫、と言い聞かせる必要がある。
数字で予想する人なら、わたしは基準を持てばいいと考える。
基準は、平均でも最高値でも一定の下限でもかまわない。
予想を見直そうとするとき、基準を持っていれば、事前の予想と同じ判断ができるはずである。
着差に注目しているのなら、例えば「前走08以内」という判断基準を持ってさえいれば、何度見返しても予想が揺れることはない。

「前走08以内」という判断基準に自信が持てなくなったらどうするのかって?
そのときは諦めてもらうしかない。
前項で述べた入念な準備ができていないからである。
(SiriusA+B)


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