▼投資競馬ということば
近年出現したことばに「投資競馬」と「競馬商材」がある。
ことばの意味は不変ではなく常に変わっていく。
わたしは「正しい」とか「間違えている」と言うとき、事実誤認が見受けられる事態に限るよう心掛けている。
価値判断を他人様(ひとさま)に押し付ける行為は好きではない。
だが、競馬商材はともかく、投資競馬というのは投資、投機、ギャンブルの中でいちばん抵抗感の少ない用語を持ち出してきたなと少々嫌悪感を持っている。
競馬は投資に程遠いシロモノだ。
3つのことばを明快に使い分けられないのをいいことに、人を惑わさないでほしいと思う。
明確な使い分けのできない3つのことばだが、わたしの私見を申し上げると次のようになる。
投資はプラスサムゲームで、元本の保全を図りつつインカムゲイン(配当など)で資産を増やしていこうとするもの。保有する資産の価値を高めるといったことも含まれ、長期的視野に立った行為。
投機はゼロサムゲームで、市場での資産価額の変動を利用し、キャピタルゲイン(売買益、利ざや)を得て資産を増やしていこうとするもの。短期的な売買戦略。元本のダメージもある程度覚悟。
ギャンブルはマイナスサムゲームで、出し合った金銭をゲームの勝者が総取りするもの。投資や投機の手数料に比べても胴元の手数料(寺銭)が高いため参加者の取り分の合計は賭けた額より少ない。
以上のように考えているから、競馬を投資になぞらえるのには違和感があるのである。
投機ともまた違うのだが、元本割れ、元本を失う危険を冒す点では投資より近いかもしれない。
「投機競馬」とでも言おうものなら近づいてくる者は減ると思うが、ギャンブルはその投機よりも元本を失う危険が大きい。
その「投資競馬」だが、投資とは程遠い。
投資競馬とは儲けることに徹して馬券を買うことだと言うが、それはわたしも同じである。
だが、紹介されているのは「追い上げ」「モンテカルロ法」「マーチンゲール法」といった破綻する馬券購入法か高額な予想会社の紹介である。
ひとつのサイトだけは期待していたが、そのほかは薄っぺらいものが多かった。
分散もしないし資産価値も増えていかない。
元本を失う危険は極めて大きく、とても投資とは言えない。
いや、明確に言えば投資ということばに釣られてやってきた人の身ぐるみを剥ごうという魂胆しか感じられない。
ほんとうの投資家は、競馬が投資ではなくギャンブルであることを分かっている。
それすら分からない者をカモにするのだ。
▼分散投資を真似て
投資は元本の保全を図りつつ運用益を挙げていく。
そのため、複数の相関性の低い投資先に資金分散する。
相関性が低いというのは、例えば国内株式と外国債券の値動きが連動していない、相互にあまり影響していないことをいう。
競馬はギャンブルだが、こうした投資のエッセンスは採り入れてみたい。
先ず、レース毎に賭けるという発想を変えてみる。
第7競走が終わったので次は第8競走を買いに行こう、ということはしない。
わたしはオッズを見ないで朝まとめて買うと言ってきた。
1日3場なら最大36レースをさっさと買う。
オッズを知らないからどれも均等に買う。
わたしの頭の中ではこの1日分まとめて1単位なのだ。
相関性のほとんどない、独立した36レースに分散している。
だからゼロにはならない。
大穴狙いでなければ、さすがに1レースも当てられないというのはないからだ。
少なくともわたしはどんなに不調でもゼロになったことはない。
例えば36レースに単勝と複勝を1点ずつ、それも均等に100円ずつ買うとしよう。
7,200円である。
感覚的には1レースに7,200円賭けた感じだ。
夜になって収支を確認する。
結果を見れば、酷いときでも5,000円ほど、上手くいった日には9,000円近く回収されていることが分かる。
1レースあたりの買い方は、相関性や分散の考えを踏まえ、わたしなら単複だけにする。
1レースをひとつの単位として賭ける場合には大量の死に票を覚悟で広い網を張る手があるけれど(1レースで収支結果を出す必要があるから)、その方法でなければ点数は少ない方がいい。
もうひとつ、POG的発想だ。
期待馬をピックアップしておき、出走のたびに賭ける、というもので、レース単位とまた違った方法である。
これについてはいつか詳しく話したいと思っている。
(SiriusA+B)