2023年2月12日日曜日

第406夜 偶然性の影響を減殺するために

 

レースを絞るのは、収支にプラスかマイナスか
今夜の記事名は「ぐうぜんせいのえいきょうをげんさいするために」と読む。
「減殺」の読みを問う国語の試験ではない。
最高裁の判決文から引用した。

必勝法とか、プロ馬券師がやっているといった呼び込み文句で、必ずと言っていいほど出てくるのが「レースを絞る」というものである。
このブログの過去記事をご覧になっている人には「耳タコ」であろうが、わたしはレースを絞るという行為に一貫して懐疑的である。
「ダート専用」「左回りコース用」「未勝利戦専用」のように競走条件等で限定する予想法であれば、条件に適った競走に限ることはある。
ただ、「大数の法則に呑み込まれる時期を遅らせる」という理由で絞るのだと言うなら、それは必敗法である。
これは、大数の法則の意味を誤解しているもので、負ける時期の引き伸ばしであり、そもそもビギナーズラックというか、極初期に一度大勝しておかねば成り立たない。
また、「自信のあるレースに絞るのだ」と言う主張もあるが、リスクの量を減らした賭けにどれだけのリターンがあるというのだろう。
ご自身の予想で実験してもらえれば分かるが、自信のあるレースと自信のないレースに分け、的中率と回収率を比較する。
的中率は自信のあるレースが何ポイントか高いと思うが、回収率は自信のないレースと大差ない結果になるだろう。
そして、その回収率こそが貴方の「大数の法則で行き着く先」なのである。
全員の回収率が75%というわけではない。

では、レースを絞らず、全レースに賭けるのが正解かというと、わたしは(基本的には)それが望ましいと思う。
実は、これまでに明らかになっている、幾つかの勝ち組の方法では、全レースのうち70%以上に賭けている。
少頭数など必勝条件に適っていないレースを除外した結果であろう。
少なくとも、1日に23レースしか勝負しない、と言う人で、長期間黒字収支を維持できている人は、わたしの知る限りいない。

では、なぜレースを絞らないほうがいいのか。
これが今夜の記事名なのである。
そう、偶然性の影響を減殺するためなのだ。
競馬がギャンブルとして成立するのは、必然と偶然の混ざり具合がちょうどいいからである。
多分に偶然性を含んでいて、番狂わせを演出する。
一方で、競馬の優勝劣敗は大きくみれば必然であり、概ね能力順に序列ができる。
そのため、何回も試行すれば偶然性の影響を減殺できるのである。
野球の日本シリーズやワールドシリーズで7戦するのも、1試合だけでは偶然性が強いと思われやすいこともあるかと思う(興行的な要素が大きいとしても)
競馬は1回限りの勝負で、さまざまな要素が絡み合って結果が出る。
しかし、「全体的には」或いは「何回も繰り返すと」、やはり強い馬が最も勝ちやすい。
予想も然りで、上手な予想ならば、全体的には当たっているのだ。
できるだけ数多くのレースで賭けるというのは、「予想外の割合を小さくする」行為なのである。
黒字になるから全レースに賭けるのではなく、全レースに賭けなければ安定した、想定した結果にならない、ということなのだ。
これが必勝法の実態である。
この考えが正しければ、レースを絞るというのは、限定的な必勝法でない限り、収支にプラスではない。

絞らないのが勝ち組の方法
前夜の記事を引用すると、収支黒字になる方法には2種類あって、徹底的に的中率を上げる神様的方法と、時折大きな馬券を当てる一発屋的方法がある、とわたしは考えている。
競馬がギャンブルとして成立するのは、前者の馬券師が事実上存在しないからである。
単勝ならどんなにオッズが低くても的中率約40%で絶対に黒字になるのだが、それができる人はいない。
結果的に、一発屋的方法が「神様になれない」わたしたちの道なのだ。
前夜の勝ち組と思しき人と、以下の所得税更正処分等取消請求事件判決の勝ち組の人とは別人だ(と思う)が、数多くのレースに賭けているのは共通している。

「偶然性の影響を減殺するために、年間を通じてほぼ全てのレースで馬券を購入することを目標として、年間を通じての収支で利益が得られるように工夫しながら、6年間にわたり、1節当たり数百万円から数千万円、1年当たり合計3億円から21億円程度となる多数の馬券を購入し続けた」(平成28(行ヒ)303号 所得税更正処分等取消請求事件 平成291215日第二小法廷判決
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