日本語は難しいと思う。
原因は主語の省略にある。
いや、他にもあるけれど。
競馬とは馬が順位を争う競技、またこれに賭けること、と言えば「そうだよね」となる。
だが、正確には「競馬とは馬を走らせる競技」である。
動詞をキチンと書けば「誰が」という主語が抜けていることに気がつく。
騎手である。
騎手が馬を走らせて順位を争うのだ。
では何のために。
目的語も欠けていることに気がつく人は少なくあるまい。
馬のために争うのかと言うと、確かに生存競争なのだが、それは全体の目的の小さなひとつに過ぎない。
ビジネスの世界で使われることばでいう「ステークホルダー」のためなのである。
調教師や厩務員など厩舎、馬主、生産者そして騎手だ。
彼らのために賞金と栄誉をかけて走らせるのである。
わたしたちは、その闘いをギャンブルにしている。
ギャンブルにしているが、スポーツとしての競馬の本質はそういうもので、市場原理に基づいた立派な経済活動なのである。
厩務員は生活のために馬の世話をする。
オーナーも潤えばまた新しい馬を手に入れられる。
生産者は次の世代の馬を売りやすくなる。
また、日本ダービーを勝つことは名誉なことで、競馬関係者で制したいと思わぬ者はいないだろう。
だから争う。
それが社会の仕組みである。
国語の時間ではなく、社会の時間だった笑。
▼スポーツとギャンブル
スポーツとしての競馬を理解していないと賭事としての競馬でも本質を見失う。
スポーツとギャンブルとの混合は競馬ファンにとって良い話だと思うが、スポーツとしての魅力とギャンブルの部分を明確に区分できない人は多いように思う。
確かに、血統にまつわるストーリーにはロマンを感じる。
好敵手の争いで盛り上がるG1競走も心踊る。
馬の成長物語には自分の半生を重ね合わせる。
だが、それは、スポーツとしての競馬の魅力である。
ギャンブルとしての競馬は、「どうやって勝つか」を考える競馬人とその所有馬を天秤にかけ勝ち名乗りに乗るものである。
それなのに、多くの馬券投票者が競走馬だけに眼を奪われている気がするのである。
競走馬を育て、仕上げて、カネと名誉を競うのはステークホルダーだ。
馬を走らせるのは人間である。
その割に、馬の能力だけで予想している人は多くないだろうか。
「誰が」という主語を念頭におく。
どうやれば勝つことができるのか、競走している認識すらない競走馬自身が戦略を考えるわけでないだろう。
どうすれば馬を勝たせられるのか、ステークホルダーがレース戦略を考え、騎手が戦術を考えるのではないだろうか。
素人のわたしたち馬券投票者が考える前に、彼らが考えている。
騎手の真似をして考えても仕方あるまい。
むしろ、彼らが何を考えているのか、彼らの競走馬を仕上げる技量はどれくらいなのか、それを考えるのがわたしたち馬券投票者ではないか。
レースも同様である。
主催者がG1競走の馬券で控除率を下げてくれたりするのなら大切だが、わたしたちにとってはローカルの未勝利戦でも価値は同じである。
ギャンブルとしてみた場合、レースの価値はすべて同じなのである。
「いや、大切だ」という反論があるなら、それは誤解である。
その人にとって、大事だと思っている(思い込んでいる)のは、あくまでスポーツの競馬での部分である。
▼このブログについて
前2項は、わたしの考える「ギャンブルとしての競馬の基礎」である。
競馬だから馬をよく見ましょう、というのはその通りだけど、ずっとそこに留まっている人にそんな話をする。
馬のことが分かるようになれば競馬予想で勝てる、という生易しいものではない。
競馬の仕組みを分かっていなければ競馬予想では勝てない、とわたしは考える。
このブログには「自分で予想理論を築きたいひとのための、予想をしないブログです」と書いている。
カテゴリー分けしにくいジャンルかもしれないが、予想ではなく予想理論を考えるブログなのだ。
人間についてはいろいろ問題も生じやすいので、話題は競走馬の統計的な分析や馬券投票者の傾向を中心にしているが、わたし自身は競走馬だけを見ているわけではない。
投資の世界で使う「ベンチマーク」はオッズだ。
このブログは、オッズを超える、オッズに近づく(的中率でも収支でも)材料探しの思索の記録とも言える。
考えをまとめたものではないので、重要なところを太字にしたり下線を引いたりしないし、断定したりこうあるべきだと言う主張も極力避けている。
そういうブログである。
深く調べたい人のために簡単な表は載せても、グラフは読者に委ねている。
グラフにすると理解しやすい半面、思考を誘導してしまうのだ。
わたしのことを理解してほしい、共感してほしい、というブログでないことがお分かりいただけただろうか。
自分の理論や予想を披露したり紹介したりするものではないのだ。
さまざまな理論や考え方を自分なりに考察して書く。
元々、わたしの思考備忘録からスタートしている。
明確な事実誤認を指摘することはあるけれど、基本的に否定ではなく補完するイメージで書く。
わたしにかまってほしい、わたしの競馬理論を聞いて、というブログにするなら、もう少し校正する笑。
話がときどき(しょっちゅう)飛ぶのも放ったらかしなので。
最近少しばかり閲覧数が増えているようなので、これまでお読みいただいている読者にも併せて、このブログの意図を紹介した。
最終回ではないので誤解なきよう。
(SiriusA+B)