▼武豊騎手のエッセイ
同じ本を何度も読み返す。
気に入ったものや勉強になるものは多くて、何年間かかけて繰り返し読む。
充分読み込んだつもりでも、自分の成長もあるのか、或いは忘却か、新たな知見を得ることはよくある。
最近は、武豊騎手の「この馬に聞いた!」文庫版を読み返している。
1999年に単行本が刊行され、2000年に文庫化されたものだ。
1998年頃雑誌に連載していたものをまとめたものである。
1998年は、武豊騎手がスペシャルウイークで東京優駿(日本ダービー)を初制覇、シーキングザパールとタイキシャトルが海外G1を制覇する一方で、武豊騎手騎乗のサイレンススズカがレース中に骨折し安楽死措置、種牡馬となっていたナリタブライアンの急死もあった年である。
その頃の執筆で馬への想いをよく伝える本である。
もちろんその想いを受け止める読み方になるのだが、ところどころに競馬予想のヒントが散りばめられている。
騎手の思考パターン、馬の把握具合、レース戦術を注意深く拾っていく。
川で僅かな砂金を掬い取るような作業である。
この中で、例えば武豊騎手のレース展開に対する考えを窺い知ることができる。
ここからはあくまでわたしの推測だが、(少なくとも執筆した時期の)武豊騎手はレースを4つの要素に分けているように見える。
1、スタート
2、位置取り
3、狭義の展開(おそらくペースや他馬の動きを言うのではないか)
4、スパート
以上である。
わたしは、展開を予想することは困難だが、展開を評価することは可能ではないかと思っている。
偶発的要素を含めて、各馬のコーナーの通過順位を言い当てることは、少なくともひとつに絞ることは無理だ。
ペースもすべてのレースをハイペース、ミドルペース、ローペースの3種類に分けることができるほど単純ではない。
仮に予想できたとして、そこからどの馬が勝つのかまで予想を繋げていくのはたいへんなことなのだ。
だが、レースを終えたら、レースの記録を丹念に見て評価することができ、「馬が力を発揮できたか」を知ることができる。
わたしは、こうしたレース結果後の展開評価を部分的にチェックしているものの、レース全体を通しての評価はできていない。
先程の4つの項目であれば、1頭ずつリプレイを見なければならないが、位置取りを重視した評価より良いかもしれない。
各項目をどう評価するかだが、わたしならこういうところをチェックするというものをメモしておく。
なお、評価点はシンプルにして、良ければ2点、悪ければ0点、特記事項なしなら1点、くらいの評価方法をおススメする。
評価点は細かくしたいと思うが、長期的に基準がぶれていき、ひどいときには自身で採点した評価さえ信用できなくなることがある。
個人的な経験で言えば、最初からあまり無理せず、どうしても必要となれば細分化していくほうが「程よく力が抜けて」挫折しにくい。
1、スタート
好発は2点。出遅れは0点。ゲート内でのトラブルは0点。「駐立不良でも好発だったらどうするの」と問う人もいようが、そこは自身でどちらかに決めれば良い。或いは(あまり賛同しないが)発馬までの評価を別途設定する手もある。
2、位置取り
4、5番手辺りを好位置とする考えがあるけれど、通過順位にこだわらない評価もあるのではないか。わたしなら「前にマークする馬を見る位置」を2点としたい。並列して外を走らされる馬は0点。逃げ馬の判断は少し複雑になるのでここでは突っ込んだ話をしないが、単独でかつマイペースで走れるようなら2点として良いと思う。
3、狭義の展開(おそらくペースや他馬の動きを言うのではないか)
極端なレースなら、先行争いが激しいもの、牽制しあってスロー過ぎるもの、などのほか、逃げ馬が早々に失速する、掛かった馬がレース中盤からペースを上げてしまうものもある。その馬に好影響があれば2点、悪影響なら0点。ハイペースやスローペースといった速さの分類とは一味違うかもしれない。ポイントは「緩急の極端なレース」ということである。
4、スパート
上がり3ハロンとは別に評価したい。伸びたか失速したか。何頭抜いたか。よく伸びたなら鞍上が想定したより力があったということだ。失速は仕掛ける地点が適切だったかどうかである。成功なら2点、失速したら0点。
▼展開の評価は誰のもの
以上の評価は、スピード指数などと一線を画す。
上がり3ハロンのタイム評価や前半の速度や通過順位とは別の考え方だ。
どこが違うかと言えば、「定員制」ではない点だろうか。
採点の結果、高得点の馬が続出したり1頭も評価しなかったりする。
見どころ有り、という馬を探す作業である。
デジタル、すなわち競走データを用いて採点することも可能だが、丁寧にやりたいならアナログと言われようがレースのリプレイを繰り返し見てほしいと思う。
ところで好位置とはどこなのか。
ペースが速すぎて最後の直線で先行馬が軒並み失速したレースがあるとしよう。
このとき好位置というのは結果からみて後方であろう。
では、その位置を騎手が選んだのは偶然なのか。
展開のアヤなのか。
ゲートが開いて早々に「前の方が速くなりそうだ」と控えた騎手はいるだろう。
想定される展開と馬の適性や能力を咄嗟に判断し、馬場状態からゴール前の直線を計算して理想の位置を考える。
これが好位置ではないかと思う。
そして、その通りにいけば上手く乗れたと言える。
将棋ではないが、妙手は何手もある。
好発なら先行するし、速い馬がいればハナを争うことを控える。
判断の積み重ねである。
そう考えると、レース展開とは馬よりも騎手の判断(或いは成功と失敗)の集積ではないだろうか。
極端な逃げ馬や追い込み馬は存在するようにも思うが、多くの馬は騎手の手綱次第だと思うのである。
ここから蛇足である。
所属するクラスで勝負になるようになってくると、馬は前の方で走るようになる。
後方にいるのはついていけないからで、追い込みに賭けているのではない。
通常は勝ち負けに無縁であるが、レースを壊すほどの展開があればチャンスはある。
換言すれば、力が足りないので展開の助けが要るのである。
先天的な追い込み馬でなければだいたいそんな感じだ。
展開に左右されるポジションに誰が好んでいくだろうか。
後方から追走せざるを得ないのである。
いつも二桁の通過順位だった馬が先行するようになると、ちょっと注目してほしい。
(SiriusA+B)