2016年7月28日木曜日

第103夜 相馬眼を鍛えるなど到底無理、少なくとも大多数の者にとっては

▼パドック
競馬予想初心者への助言を聞くと、助言そのものに悪意があるのではないかと思うものがある。
相馬眼を鍛えよ、つまり馬を見る目を養え、というのもその一つである。
「下見所(パドック)で、馬の好不調がわかるようになるには、日々の鍛錬が重要です」
などと述べられている。
パドックで好不調がわかる?
大多数の人が辿り着けない達人の領域なのでは?
わたしには、初心者に対して馬を見る訓練を勧めるのは、JRAに営業妨害する気か、カモを増やそうという魂胆のいずれかではないかと思えてしまう。

「パドック派」というのはどのくらいいるのか知らないけれど、「馬を見る目を持つ人」は極めて少ないのではないかと思う。
そう思う具体的な根拠を挙げられないのだが、いくつかの事実がそう思わせるのである。

例えば、複数の調教師や生産者、馬主が、馬はわからないと述べていること。
「牧場では目立たない仔でしたね。G1を勝つようになるとは想像できませんでした」
という牧場の話は、ドラマなら面白いが、どうやら脚色なしのようである。

あるいは、市場取引馬の価格と競走成績の乖離も、相馬眼の難しさを示している。
全体としては、価格と競走成績に一定の相関性を認めることができるが、個体それぞれでは高額取引馬の割に走らなかったり、安馬が激走したりと思いどおりにならないケースは少なくないようだ。

また、一番身近にいる担当厩務員も、管理馬の調子はわかるが、他馬と比較することはない。
なるべく多く走らせたいばかりに、冷静な判断をしていないこともあるという。

プロの予想家やベテランの予想記者でさえ、パドックでの評価は疑問符が付く。
これは予想をした上で、すなわち「色眼鏡」でパドックを見るからである。

そもそも絶好調でも力不足の馬は勝てない。
不調でも勝てる馬は勝つ。
調子以前に、馬の能力順位を判断した例を聞いたことがない。

と、枚挙にいとまがないのだ。
ましてや、わたしたちはたかだか数分間眺めるだけである。
複数の馬を見て、走るか走らないか、調子が良いかどうか、どの馬が一番速いか、を瞬時に見極める。
それを相馬眼というなら、相馬眼を鍛えるなど到底無理である。

事前に予想した上で、パドックでは注目馬の調子を最終確認するだけだという人もいるだろう。
しかし、目に見えて不調ということはまずないだろうと思う。

▼データもパドック
一方で、わたしは、パドックで得られる情報の大部分をデータで代用できると考えている。
能力と調子のうち能力については、大量の情報があり、事前に分析できる。
問題は調子であるが、これも持ち得るデータを使えないかと思うのだ。

毛ヅヤや踏み込みを観察できなくても、馬の状態を推定する。
例えば、出走間隔による影響は統計的に調べられる。
馬体重の推移や放牧、調教などの情報も総合すれば、準備態勢は判断できる可能性はあるとみている。
このように突き詰めていくと、データがパドックでの観察を代替できるように思う。

もちろん、代替できないものもある。
発走直前の状態、仕上がり具合である。
言い換えれば、それがパドックで見るべきものなのだ。
しかし、仕上がり具合を判断できる人はどれほどいるのだろうか。
少なくとも、初心者に無理難題を吹っかけるのはやめておいて方がいい。
(SiriusA+B)

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