▼改めて「予想」というものを考える
予想するとはどういうことなのか、改めて考えておきたい。
国語辞典で調べると、物事の結果や成り行きを前もって推し量ることをいう。
予測もほぼ同義だが、「予想」はより個人的主張を強調するのに対し、「予測」はデータに基づき客観性を強調しているようにわたしは思っている。
そうすると、競馬「予想」というのも合点がいく。
百家争鳴、予想家は他の予想家より多くの支持を得ようとする(その意味では、予想家は、明快さや弁舌の巧さなど「説得力」が、的中率より重要なのかもしれない)。
「前もって推し量る」ことは、インスピレーションからデータまでさまざまな道具で行なうことができる。
共通していることは、どのくらいの割合かは別として、過去の経験や情報が利用される点である。
経験や情報は、因果関係のはっきりしたものから単なるゲン担ぎまでいろいろあるが、一定のパターン(規則性)を見いだし、結果を推定するのである。
「一定の規則性を見いだし」たら、それが予想理論なのである。
データ派(理論派)とアナログ派の違いは、過去の経験則を直感に頼らず整理して利用するかどうかの差に過ぎない。
また、理論の精巧は、材料となる情報の質の差に過ぎない。
▼競馬予想と数学
この規則性を求める思考作業は、門外漢だから言えることかもしれないが、数学に似ているように思う。
素数の探索がいい例である。
2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31と続く素数は、不規則に出現する。
規則性を見つける試みは、未だ続いている。
多くの天才数学者が挑んできた。
フェルマーやオイラーもなし得なかった。
ガウスは視点を変えて、ある範囲に何個の素数があるかを推定する「素数定理」を発見した。
非常に大きな発見だが、それでも素数の解明には未だ至っていない。
数学者は、独特の美学を持っていて、ランダムに出現するようにみえる素数についても、美しい規則性があると考えているのだと思う。
規則性を見つけることで、「次」あるいは「結果」が正確に予測できると考える。
数学とはその点で似ているのだ。
もし、競馬予想を並べる失礼を赦していただけるなら、わたしたちの目指す予想理論の構築作業も、規則性の発見作業と言い換えることもできる。
この作業には、数学の道具が要る。
数量化1類など統計学に限らず、さまざまなシーンで、四則計算はもちろん、行列、冪乗、対数をはじめとする数学の道具に対する理解が要る。
たいしたレベルではないが、走破タイムを速度に変換したり、獲得賞金額を対数で表したりするのも、数学の道具を使って規則性を発見しようとする作業の一環なのである。
このブログで、例えば巷間の血統理論を「理論というより馬券購入理由を述べたに過ぎない」と指摘したのは、こうした考えに基づく。
要するに規則性がないのである。
換言すれば、血統だろうがなんだろうが、十分なデータを集め分析して規則性を説明できれば、予想理論と言えるのである。
(SiriusA+B)