2016年12月17日土曜日

第136夜 「競馬予想の王道」とは

▼国語
「単勝こそ馬券の王道だ」という声を耳にして、ふたつの疑問が頭に浮かんだ。
他人にも聞こえる大声で話をする心理はよくわからないけれど、気が向いていたために「単勝は馬券の王道だ」がものすごくはっきりと聞こえてしまった。
疑問というのは、ひとつは国語の問題である。
「学問に王道なし」とは、学問に近道あるいは楽なやり方はないという意味かと思う。
このように「王道」とは、近道・安易な方法という意味なのだが、しかし、「単勝こそ馬券の王道だ」ということばでは「正当な方法、基本的なやり方」という意味で用いられたように聞こえた。
ことばの意味は転じていく。
「ふつうに美味しい」とか「ヤバい、美味い」とか、年配の人は顔をしかめるけれど、「雨模様」「小春日和」「流れに棹さす」「役不足」など昔から、誤用によって意味が変化したことばはたくさんあり、現代の若者だけが言葉を変化させているわけではない。
「王道」が、「安易な道」より「正攻法、正当な方法」を指す時代が来るかもしれない。

▼「競馬予想の王道」はあるのか
国語の問題はともかく、もうひとつの疑問は正攻法という意味で用いられたなら、単勝が正攻法なのか、ということである。
これは、1着を当てる単勝が基本中の基本と言いたかったものと思われるのだが、1着を当てるという形式が最もわかりやすいことと、他の馬券より基本だったり正当だったりということは無関係だ。
わかりやすく言えば「単勝こそ馬券の王道」ではなく、単に「単勝こそ初心者でも最も理解しやすい馬券」というところか。
それこそ「邪道な馬券種」はない。

また、似たようなものに、「競馬新聞で馬柱をよく見て、パドックを見て、馬を見て」というのを競馬予想の王道、とする考えがある。
馬を見て予想することが「正しい予想の仕方」と考えているようだ。
本来、出目論など馬を見ない予想法に対して言ったことばなのだろうが、転じて馬を見ることが正当なやり方だとなったのではないか。
予想は「勝てば官軍」であり、馬を見なければならないわけではない。
ただ単に、主流の予想法に過ぎない。

単勝の話にしても、予想法の話にしても、少し思い込みが強いように思う。
単勝は1点買いが「正しい」とか、相馬眼を鍛えるべきだとか、至極もっともそうでよく考えるとそうでもない意見が競馬予想の世界では多い気がする。
単勝どころか、すべての券種で1点買いは最も効率が良いし、2点以上買うことは不道徳でも邪道でもない。

いずれにしても、「競馬予想に王道」はない。
王道が「近道」でも「正攻法」の意味でも、ないということである。
(SiriusA+B)

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