マイブームは「投資競馬」である。
サイトをあちこち行って、読み漁っている。
とにかく凄いの、書いてることが。
謎理論や怪しげな勧誘に高確率で行き当たる。
ニヤニヤしながら読むけれど、得てして、こういうものにこそ競馬の本質が描かれていたりするから面白い。
情報化時代より前には「裏情報」と言えば吸い寄せられる人が少なくなかった。
情報が不足しているから当たらない、有力な情報が有れば勝てる、と考える人が多かったのだろう。
情報化時代になり、裏情報系の勧誘は鳴りをひそめたが、今度は、統計や機械学習、今ならAIとか生成AIを駆使して云々みたいな「技術系」?の語句が流行っている。
結果だけ提供することをいいことに、実際にはそのようなツールなど使っていないと思われるものが、わたしの印象では物凄く多い。
幸運にもキチンと予想しているものであったら、計算間違いや勘違いは減るので、貴方がグダグダに酔った勢いで買うよりは良いけれど、平凡な予想法をコンピュータで「正確に計算」しても勝てない。
飛びつかないように願いたい。
投資競馬ということばをこれらと同列に扱うのは失礼かもしれないが、「投資」ということばが持つ「論理的なでプロっぽい」、「勝てそう」な印象を利用した話は多いと思う。
本来、投資競馬とは、簡単に言えば、「ギャンブルではなく投資のように、中長期的に安定して儲けることを目指す姿勢、戦術」と言っていい。
あれ、このブログと同じ?
そうかもしれないが、競馬はギャンブルであり投資ではないというスタンスだけは根本的に違う。
ところが、困ったことに、投資競馬を標榜するにも関わらず、およそ、投資では考えられない指南をするものが目につく。
投資と投機の区分は曖昧なところもあるが、明らかに混同している論調も散見される。
書き手が、本格的に投資をした経験はないと、直ぐに分かる。
「短期的に一喜一憂してはならないって心得しか投資らしくないじゃん」などと思いながら、わたしは読み進めている。
投資の鉄則には幾つかバリエーションがあるが、「長期、分散、積立」あたりが代表的だろうか。
長期とは、目先の市場価格の変動に踊らず短期的売買をしない姿勢とわたしは解釈する。
2024年8月5日、日本の株式市場における過去最大の急落と、翌6日の過去最大の急騰(日経平均株価)では、慌てた人が痛い目をみたかもしれない。
ごく短期的な動きに合わせて右往左往しているようでは投資にならない(ここで利鞘を稼ぐのが投機である)。
分散とは、ひとつに集中せず、できれば相関性の低い投資先(商品)に広く投資する姿勢とわたしは解釈する(大儲けできそうなひとつに集中するなら、それは賭けすなわちギャンブルである)。
積立とは、毎月など一定間隔で(そして定額で)投資商品を購入していく姿勢であるとわたしは解釈する。
これは時間分散と言い換えることもできる。
株式が分かりやすいが、日経平均株価が高くても低くても、決まった日に決まった金額でインデックスファンドを購入するようなイメージだ。
このほか鉄則には「低コスト」などバリエーションもあるが、ここでは省略する。
「余計なことをしない」というのもある。
これは、機関投資家の経験がある人なら、吹き出しながら、過去の経験や失敗談を思い出すだろう。
短期的視点で動くな、と要約すれば分かりやすいか。
で、投資競馬である。
えっと、レース毎に一喜一憂しない、くらいしか共通点がなくない? ってのが多いようにわたしは思う。
わたしの考える投資競馬は、
・長期をレースのたびに一喜一憂しない姿勢と解すれば、月単位や年単位で帳尻を合わせる姿勢で馬券を買う。これはなかなか分かりにくいようだが、「8月は250レースで馬券を800点買い、合計で880倍(110%)の回収を目指す」みたいにするイメージだ。
・分散は、1点買いではなく、券種も買い目も幅広く使う。機会は多いほどよく、できるだけ多くのレースに参加する。
・積立をギャンブルで比定するのは難しいが、資金配分にウェイトをかけない、均一にベットする。1点百円なら、勝っても負けても、次も百円である。
このように考えている。
トリガミを避けるとか、負けたら倍額をベットするとか、レースを絞るとかいった行動は、投資に近づけて考えると不合理、下手をすれば「余計なこと」に該当しよう。
▼わたしの考える投資競馬
投資競馬を謳うなら、投資家像を明確にしておくと良いかもしれない。
工場を建てて生産するような直接投資はイメージ外だと思う。
機関投資家が、間接投資や証券投資でファンド商品を買うようなものを想像している。
「投資競馬」はこの証券投資、とりわけ株式投資をイメージしているのではないだろうか。
巨額の投資では、幾つもの会社を調べて株式を買うようなことはできなくなってくる。
運用してくれるファンド商品を少しずつ買う投資スタイルが多いと思う。
一般向けオープン投信のほか、投資家が指定する運用手法で独自のファンドを作ることもある。
長期運用では、優れていると思われる運用手法のファンドをたくさん選んで資金を分散する。
リスク(成績の振れ幅)を分散によって低減するのである。
投資の実態はこのようなものなので、これを「投資競馬」で似せると、馬券上手な、手法もあまり被らない予想家にベットするのが近いかもしれない。
予想家をファンドの運用マネージャーと考えるのだ。
貴方は投資家、或いはファンドオブファンズのゲートキーパーに例えられる。
これはと思う、できれば手法もさまざまな予想家100人に集まってもらい(もちろん脳内で)、各レースの本命に指名された分を買う(単複をイメージして述べるが、もちろん他の券種でもよい)。
例えば、あるレースで63人の本命が馬A、21人が馬B……であれば、馬Aに6,300円、馬Bに2,100円……などと賭けていく。
1点百円、100人で1万円である。
これをすべてのレースでやっていく。
18頭フルゲートでも全馬買うことになるかもしれないが、安定した成績が得られるだろう。
ひとりの優れた予想家にベットするよりもリターンは小さくなるが、負けも少ない。
慣れてくれば、また成績が蓄積されてくれば、予想家に軽重を付けて買うこともできるようになる。
わたしの考える投資競馬とは、このようなものだ。
それなりの手練れの予想家だけで「マイオッズ」を形成する感じである。
100人にするかどうかはともかく、分散するほど成績は安定する。
そして、悔しいかもしれないが、ほとんどの人の場合、貴方ひとりの予想より成績が良い。
短時間に多くの予想家の予想を集める手間はたいへんだが、貴方が競馬の専門家になるより、はるかに簡単な手法である。
優れた投資家は、個人の能力や時間配分の限界を知っている。
「自分のほうが上手くできる」などとは思わないし、自身の能力や経験で足りない部分を他者に委ねることを厭わない。
わたしは日頃から思っているのだが、自分で予想せず他人の予想に頼る人は、間違えている。
頼ることを否定しているのではなく、頼り方が問題なのだ。
前述のように100人は無理にしても、20人とか30人とか、それ以上の数の予想を収集して組み合わせ、粛々と買うのが、おそらく収支面で最良である。
できれば予想紙や早めに予想を公開する人を選びたい(馬に近い、他人の予想の影響が少ない)。
収集に手を抜かないで戦えば、わたしも手強い。
ただねえ、と思う。
試してみないと分からないが、回収率はかなり改善するだろう。
それでも黒字には少しばかり手が届かないように思う。
予想家の的中率や回収率がそれなりに高くないと、やはり勝つのは難しいのだ。
巷間の予想家でも、黒字収支を安定的に叩き出す人は少ない。
投票締め切り直前に予想する人もいて集計時間を取れないソースもある。
投資家が競馬をしないのは、運用できる優れた商品があまりないからかもしれない。
(SiriusA+B)