2016年5月13日金曜日

第84夜 競馬基礎講座というサイトばかりがある理由

▼承認欲求
以前から気になっていたのだが、競馬基礎講座みたいなページが多い気がする。
初心者のためになっているかはわからないが、書かれている内容は千差万別で、それぞれの著者の競馬観がよくわかる。
ところで、競馬上級講座みたいなのはないだろうか。
競馬歴も長いし、玄人っぽいというか、研究者のような、そういうサイトを参照したいのだが、見当たらなかった。
上級講座を書くような人は、儲けていて、ノウハウを教えたくないから、そんなサイトはないだろうと思われるかもしれない。
わたしもそう思う。
さらに言えば、上級講座を書くような人は初心者に向けて何か教えようとするだろうか。
わたしの思考回路では、そんなことはまずしないだろうと思う。
ということは、上級講座みたいなものは書けない人が、基礎講座というサイトを作っているのだろうか。
わたしには、この考えがあまり的外れではないように思える。

人間には、承認欲求というものがある。
人に認められたい、という欲求である。
一定量の知識の蓄積がありながら、馬券成績ではいま一歩、という人は多いのではないかと思うが、馬券で成功していないために、次善の策として承認欲求を満たそうとする行動にでることは充分に考えられる。
血統理論や展開予想理論で「競馬基礎講座」がやたら多いのは、知識量や難易度の高いわりに報われず、「承認欲求」組が多いからではないかと推定している。

▼ページの読み方
競馬に限らないが、誰でも書ける時代だからこそのサイトの読み方があると思っている。
ネットでは、個人や企業などの団体が、自ら容易に発信できる。
この事実を踏まえなければならない。
すなわち、読み手には、「発信者がなぜ発信しているのか」を考えながら読むことが求められていると思う。
人間のやることだ、たとえ無意識であっても、意図はあるのだ。
また、個人のサイトなら複数人のチェックすら経ていないので、論理的でないこともある。
このあたりに注意したほうがいいだろう。
(1)
文章を鵜呑みにせず、冷静に読むこと
特に個人のサイトでは、論理に飛躍があるものをよく見かける。
断言や形容詞には注意したい。
絶対、安全、安心、重要、必要、間違いない、なんてことばが出てきたら、前後を冷静に読み返そう。
「競馬予想では、展開を読むことが重要です。予想のプロはほぼ全員がペース予想をしているのです」とあったら、なぜ展開を読むことが重要なのか、理由を探す。
書いていなければ、著者の思い込みの可能性がある。
予想のプロって誰だろうと著者なりの定義を探す。
書いていなければ、著者の頭の中でイメージされたものかもしれない。
大した人数でも、明確な定義もない可能性が高い。
ほぼ全員、のデータを探す。
ほぼ全員の根拠が示されてない場合は、個人の印象や主観的な意見に過ぎない。
極端なことを言えば、「自分は展開を読むことが重要だと思うので、きっと競馬のプロもそう思っているはずだ」と思い込んでいるだけではないだろうか。
(2)
誘導を疑うこと
残念ながら、多くの競馬サイトが読者を誘導しようとしている。
「この予想サイトのおかげで勝てた」と書いてあるなら、「他の人に教えたらオッズが下がるとか言ってなかったっけ」と思い出してほしい。
「良い方法を教えてあげる」という言葉は、無防備か世間知らずか脇の甘いあなたから、あなたの財産を掠め取ろうと声を掛けられている状態と認識すべきだ。
人は、承認欲求か経済的目的のいずれかでサイトを開いていると考えてよい。
見知らぬ誰かを救済するというのは、よほどのことがなければ、ない。
換言すれば、自慢か商売である。
自慢話であれば、話半分で聞いておけばいい。
金銭的対価を伴って何かを勧められたら、おことわりをしよう。
ほとんどすべてのサイトでは、あなたに語りかけていないし、あなたの幸せを願ってもいない。
あなたが幸せになっても、家族や近しい人以外には何の得にもならないからである。

この、わたしのサイトは、上記の分類で言えば「承認欲求」である。
競馬予想理論の素晴らしいサイトというのがなかなか無いので、わたしの知識や情報でもそれなりのページを作れると「自慢」しているのである。
作れるということで、わたしの欲求は満たされている。
ストレートに言えば、悩めるあなたを救いたいとはまったく思わない。
わたしには、そんな欲求はない。
一方で騙すつもりもないので、意図して虚言も書いていない。
記事で気になったところがあれば、より深く調べてもらえれば幸いである。
(SiriusA+B)

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